中古・買取で人気のJBL(ジェイ ビー エル)、オーディオ発展の重要ブランド
中古・買取問わず人気があるオーディオ・スピーカーブランド、JBL(ジェイ ビー エル)。映画館、コンサートホール、スタジオ、家庭用からポータブルBluetoothスピーカーに至るまで、世界中で幅広いシェアを誇っています。
恐らく、現代社会の日本人でもそのほとんどが人生で一度はJBLのスピーカーから発せられた音を聴いているはず、と言ってもいい程ホームオーディオのみならず幅広い場面で活躍しているブランドです。特に映画館でのシェアは世界で70%以上ともいわれています。
2012年、ポールマッカートニーがJBLが実施したグローバルキャンペーン“Hear the truth”に起用された際、
「私にとってJBLとは“素晴らしいサウンド”と同じ意味であり、レコーディングアーティスト、そしてツアーミュージシャンとしてのキャリアを通じてJBLを使用してきました。ファンに“Hear the truth”してほしいし、JBLはそれを叶えることが出来る。」
とコメントを寄せるほど、リスナーのみならず、プロの世界からも大きな信頼を得ているJBL。一体どんなメーカーなのか、ご紹介します。
創設者の名のもとに、JBLの歴史
JBL、という名は、創設者のJames B. Lansing氏の頭文字から取られています。彼は1902年にアメリカ・イリノイ州で生まれ、幼いころから電気や機械に異常なほどの興味を示し、12歳にして独学で小型無線送信機を作り上げたと言われています。その後も自動車店に就職、そこから自動車修理学校へ通ったり、ソルトレークシティのラジオ技師として勤務したりと電気と機械に囲まれた日々を送ります。そんな中、ラジオから聴こえる音質の悪さ、その改善策ととしてスピーカーの改良に着目し、研究を進める中1927年にKen Decker氏とともにJBLの前身となるLansing Manufacturing社を設立します。ちなみにJames B. Lansing氏の本名はJames Martiniであり、設立の直前にその名を名乗るようになったそうです。
そうして当初の事業内容は本来の目的であるラジオに使われるラウドスピーカーの製造でしたが、ちょうど同じ年に、世界初のトーキー映画、”The Jazz Singer”が公開され、無声映画からトーキー映画への移行に伴い、映画産業の中で新たに映画音響用スピーカーが求められていくこととなります。こちらもラジオの時と同じく、当時の既存の製品では映画関係者から不満の声が多く上がっていました。そんな中、1934年にハリウッド映画会社MGMからの依頼により当時のオーディオ業界のトップエンジニアが集められた中、James B. Lansing氏はその開発リーダーとなり、その翌年世界初の本格映画上映用スピーカー、MGMシャラホーン・システムを完成させます。そしてこのスピーカーが各地のMGM系列の映画館に納入され、映画芸術科学アカデミー賞を受賞します。そうしてその名が広まった後、上映用に大型であったシャラホーン・システムから、映画会社の試写室や放送局のスタジオでのニーズに応えるべく、1937年に小型の2ウェイモニタースピーカー、ランシング・アイコニックを発売。これによりさらなる普及と共にその名を世界に知らしめる事となりました。
しかしそんな栄華から一転、経営の実務を担当していたKen Decker氏が突然の他界。そこから同社は経営難に陥ってしまいます。
そんな頃、同じくアメリカで当時同じく音響機器メーカーであったWestern Electric社から独立したAltec Service社との合併という形で1941年、Altec Lansing社が設立され、その技術担当副社長としてJames B. Lansing氏が迎えられます。
そして経営の安定したAltec Lansing社でその才能が開花し、ユニットそのものの開発のみならず、使用するコイルの巻き上げ技術やアルミニウム素材のダイアフラムを創るための油圧成型法など、現代のスピーカー製造の技術における基礎を築いていきます。在籍した期間は僅か5年。その間に後30年以上もシェアを独占したユニットALTEC 604型同軸スピーカーや、世界中の映画館で活躍したALTEC A2〜A6ボイスオブシアター・システムなど、次々と傑作を作り上げていきます。
そして1946年、James氏は5年間の契約期間を終えた後、「プロ機の性能を持った美しい家庭用のスピーカーシステム」を新たに作り上げるべく、独立してLansing Sound社を設立、これが後に商標権の関係でJames B. Lansing Sound社と社名が変わり、後のJBLへと繋がっていきます。
しかし、この時それまでの技術と商標はAltec Lansing社に引き渡す事に同意しており、新たに製品を作り上げる必要に迫られた上、Lansing Manufacturing社の時のようにJames B. Lansing氏本人はあまり経営面では明るくなく、上手く立ち行かなかったようです。そうして資金援助としてMarquardt Aircraft社へ交渉、援助を受けることとなり同社の工場敷地内へ事業所を移転します。その際に出向してきたのが後に2代目社長としてJBLの再興を支えたWilliam H.Thomas氏です。
新たな経営パートナーと共にここから立て直しへと向かうかと思いきや、そのMarquardt Aircraft社がGeneral Tire社に丸ごと買収され、全く関心を示さなかったGeneral Tire社によりMarquardt Aircraft社から負債を抱えたまま切り離されてしまいます。
James氏の情熱と人柄に惚れ込み、William H.Thomas氏は会社を離れこれまでの出向ではなく正式にJBLの一員として移籍を決断。共に自己再建を目指し、引き続き製品の高い能力と信頼性を向上させていくものの、負債総額はさらに増大。独立から僅か3年後の1949年、James B. Lansing氏は当時のサンマルコスの工場で自らこの世を去ってしまいます。
時代で言うならば、前回のコラムで特集した、McIntoshブランドが丁度立ち上がった頃。もしこの時代までの彼の業績、スピーカーユニットの発展が先に無かったとしたら、McIntoshをはじめとするアンプ設計における音質向上というアプローチも生まれなかったのかもしれません。
残されたWilliam H.Thomas氏は2代目社長に就任、優れた経営手腕を発揮し、音響技術、物理工学の専門スタッフを積極的に登用しながら、「優れたスピーカーはその外観にもそれが表れるべきだ」というJames B. Lansing氏の信念を受け継ぎ、魅力的な製品を次々と生み出していき、見事世界的メーカーとして返り咲くこととなります。
その後James B. Lansing Soundという社名が再びALTEC社から抗議を受けることとなり、改めて頭文字を取ったJBLというブランド名へと改めます。JBLの当時のロゴマーク、そして現代のロゴマークにもみられる感嘆符「!」のモチーフには、James B. Lansing氏の偉業への深い感嘆の念が込められているそうです。
そうして復活を遂げたJBLは数々の名機を作り出し、家庭用、プロ用機器共に大きな信頼を得ていきます。ステレオLPが登場し録音機器も大きく発展していく中、1960年代初頭にJBLはCapitol Recordsと組み新たなスタジオモニター用スピーカー、C50SM/S7を発売。中古レコードでもおなじみのCBS COLUMBIA、DECCA、LIBERTY、Verve、RCA Victor等々米国中のレコーディング各社、TV・ラジオ曲に至るまで広く採用されることとなります。そして丁度その頃渡米していたBEATLESのプロデューサー、George Martin氏が訪れた米国内のスタジオでJBLモニターのサウンドに驚き、後にアビーロードスタジオとして有名になるEMIスタジオへ導入。BEATLESの成功もあってか、ヨーロッパ圏、そして世界中へと広まっていくこととなります。
そうして本格的にプロ用・家庭用の両方で発展を遂げ、その後再び買収されながらもJBLのブランドは現代でもさらなる発展を続けています。
完成品もユニット単体の中古買取も、JBLの特徴とサウンド
オーディオ機器の中でもスピーカーという、人間が音楽を聴く中でも空気の波動に変換するための最終段として機能する一番大事な部分。その肝となるのが音を鳴らすユニットやドライバーと、発せられた音を共鳴・調整していくホーンやエンクロージャーです。
特徴と言っても前述の通りその歴史はとても長く、時代と共に様々な技術・音響理論を取り入れながら発展を遂げてきたJBL。その中で強いてあげるなら、共通している要素が二つあります。
一つは大口径、大出力のユニット。60~70年代にかけてJBLの製品が広く普及した理由の一つに、電子楽器を用いたロックミュージックの世界的な流行があります。
レコーディングスタジオやコンサート会場でも今まで以上に広い周波数レンジやダイナミックレンジ、大きな信号への耐性や出力効率の高さが要求されるようになりました。そうした要求に答えられるスピーカーはJBL以外にない、と当時のエンジニアたちに言わしめたJBLのユニットは、まさに中古レコードで人気なロックやジャズの名盤が作られていく中で理想とされた音質とも言えます。またその出力の大きさはスピーカーのみならずギターアンプにも採用され、ギターを嗜む方の中でご存じの方もいるはずです。
直径20cmを越え大きいものでは40㎝弱にもなる大口径のユニットは、より広い面積で空気を振動させ、豊かな低音を生み出すとともに時代によって最新の磁石を採用し常に進化を遂げてきた強力な構造によって見事に音像を描き出します。
もう一つ、JBLの特徴として欠かせないのが中高域用のドライバー+ホーン。前述の大出力と共に、「正確なステレオイメージを広く再現する」というのがJBLの製品開発の中で見られるテーマです。左右2チャンネルのステレオ音源が普及した最初期のJBLの名機、オーディオマニアなら誰もがその名を一度は目にするParagonもそうして作成されたうちの一つで、左右一体型の大きな筐体に低域、中高域ホーンを複雑に配置し、中央の湾曲部分に音を反射させる形で出力することで聴く位置を問わず正確な音場を再現しようとしたJBLを代表する1機です。
その後も中高域用のドライバー、その響きを制御するホーンはJBLの特徴の一つであり、プロ用の遠距離でのモニタリング用のものから、家庭用の近距離に特化したものまで、様々な形状のホーンがJBLには存在しています。
またその機構、類似性から金管楽器やサックスなどの管楽器の音がリアルに感じられるとも言われ、McIntoshアンプとの組み合わせがジャズを聴く際の定番とされる理由の一端が垣間見えます。
高額買取多数、JBLの代表機種
4350AWX
1970年代を代表するモニタースピーカー、当時のJBLのフラッグシップ機となるのが4350。
無印初期型4350、4350A、4350Bとバリエーションが存在しますが、そのうち4350AWX(2台ペア、ウォルナット仕上げブルーバッフル)を最大¥650,000-買取しています。
※!初期型は買取¥1,000,000-越えの超高額機となるため詳しくはお問い合わせください!
Project K2 S9800
2001年発売の「フルバンドウィズ&フルダイナミクス」を掲げた21世紀最初のフラッグシップモデル。後の製品にも搭載される新技術の数々が詰まったハイエンド機となっています。
こちらProject K2 S9800(2台ペア)をエコストアレコードでは最大¥580,000-買取しています。
※!付属品複数、全て揃った状態での上限額となるためご注意ください!
JBL高価買取のために注意したい点
特徴でも述べたように安価なモデルを除いてオーディオで人気のモデルでは、大型のウーファーとホーンが搭載され、大きさ・重量共に動かすのが困難なモデルも多くあります。
また、JBLの75年以上の歴史の中でやはり古い時代のものは使用できる状態で現存する数が少なくなっており、希少性から高額になる傾向にある反面、木製のエンクロージャーが劣化し、割れやすくなってしまっていたり、ニスなどの表面の塗装がぼろぼろと剥がれ落ちていってしまうような物もあります。オーディオセットの音を鳴らすための最終段、まさに顔となる物でもあるため、見た目の保存状態もかなり重要になります。
加えて紙製コーンのユニットも多く、うっかり触ってへこませたり破いたりしてしまうと大きく減額となる上に、そのままでは正常に使えないが故に買取価格が伸び悩む事態にもなりかねません。エッジに関しても同様、時間経過で劣化し崩れ落ちていってしまう場合もあります。
そのため買取を検討するのであれば、綺麗な状態のうちになるべく早く専門の中古買取業者に問い合わせ、倉庫等の劣悪な環境に一時保管したりせずにすぐに買い取ってもらうのが良いでしょう。
加えてスパイク、裏面の端子間を繋いでいるジャンパープレート等もオーディオにおいて重要な付属品となるため、なくさないうちに一緒に買い取ってもらえば買取額もその分上がっていきます。
いかがでしたでしょうか。James B. Lansing氏の功績と名を受け継ぎ、今の尚世界中のあらゆるサウンドシステムを支え続けるJBL、エコストアレコードではオーディオ買取も随時買取依頼を受け付けています。
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